はじめよう、これからの暮らしと社会 KOKOCARA

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星野俊樹さん

写真=北原千恵美

「ふつうって何だろう?」。教室で子どもたちと考えた、自分らしく生きられる社会

  • 暮らしと社会
学校や家庭に「ふつう」を押しつけられて苦しんだ経験から、小学校教員時代に、子どもたちとジェンダー平等やセクシュアリティについて考える教育実践を行っていた星野俊樹さん。世の中の「ふつう」を疑う視点を持つことは、自分らしく生きるための力になると星野さんは話す。自分のことも、自分とは異なる多様な他者のことも尊重しながら幸せに生きるために必要なこととは――教室での子どもたちとの実践について伺った。

「男らしさ」に応えたくて、参観日にクレヨンを投げつけた

――星野さんは2025年に小学校教員を辞め、現在は教育とジェンダーをテーマに講演や執筆活動などをされています。ご活動の原点には、家庭や学校などで「男の子はこうあるべき」という“ふつう”を押しつけられた苦しさがあったそうですね。

星野俊樹(以下、星野) 小さいときから、「ふつうの男の子」であること、「男らしく」なければいけないことって、私にはすごく息苦しいし、不自由なものでした。

いわゆる男子ノリになじめず、「男らしさ」とは無縁だった私は、周りから「男の子ならふつうは~」と何度も言われました。一般に、男の子ってだんだんと「男の子になっていく」ものなんだと思うんですよね。

星野俊樹さん

幼い頃から「ふつうって何なんだろう」と考え続けてきたという星野さん(写真=北原千恵美)

――というと?

星野 例えば私が幼稚園のとき、先生と親との連絡帳に「俊樹ちゃんは優しすぎるので、いつも女の子と遊んでいて心配です。男の子と遊べるといいですね」みたいなことが書かれていたんです。それを読んだ父から、「女とばっかり遊ぶんじゃない!」と叱られました。どうやら大人の社会からすると男の子がいつも女の子と遊ぶのも、優しすぎるのもよくないことなんだなと、そのとき思ったんです。

今でもよく覚えているのですが、そのあと親が幼稚園に来る参観日のとき、私は女の子のクレヨンを奪い取って床にバーンッと投げつけました。なぜかというと、「見て!男らしいでしょ」と周りにアピールしたかったから。乱暴なほうが褒められると思ったんですよね。 

「男の子らしさ」への期待に応えようとして、子どもながらにそういう行動をした。幸いにも、そのときは母にきつく叱られたので、「あ、これはよくないことなんだな」と間違った学習を正されたのですが。

――少しずつ意識が変わってきているとはいえ、今でも「男の子でしょ」「女の子なんだから」という声を聞くことがあります。そういう大人たちの反応を見て、子どもは「男の子(女の子)はこうするのが“ふつう”」と思い込んでしまうのでしょうか。

星野 それはあると思います。男の子が乱暴なことをしたとき、「男の子だからしょうがない」「男の子あるあるだよね」みたいに言われることってよくありますよね。同じことを女の子がしたときとは対応が違う。そうした経験の積み重ねで間違った「男らしさ」や「強さ」がつくられて、だんだんと男の子は、「男の子」になっていくような気がします。

星野俊樹さん

写真=北原千恵美

「どうせ変わらない」とあきらめてしまう

――星野さんのように「男性/女性はこうあるべき」と期待される役割や行動に違和感を持つ子どもは、他にもいるのではないでしょうか。

星野 私が入学した私立小学校は、そういう「女らしさ」や「男らしさ」といったジェンダー規範を無邪気に礼賛する校風でした。運動会で、男子は上半身裸で騎馬戦と組体操、女子はポンポンを片手にダンスを踊らなければいけなかったんです。

性別で種目が決まっていることや「男らしく」上半身裸になることが心底イヤでした。女子の中にも騎馬戦や組体操をしたかった子も、男子の中にもダンスを踊りたかった子もいたはずですよね。でも、そういう子どもの意思が尊重されることは一切ありませんでした。しかも、周りでは誰もそういう違和感を口にしていなかったので、私は自分の感覚が「ふつう」ではないのだと思って納得するしかありませんでした。 

その騎馬戦や組体操の練習が本当に暴力的で、できないと先生に怒鳴られたり、太鼓のバチで叩かれたりしたんです。そのときに男子たちから上がったのは「組体操が嫌だ」という声ではなく、「女子は楽をしていて、ずるい」という不満でした。

――不満の矛先が、男子の苦しさとは関係のない女子に向かってしまったんですね。

星野 そう。なぜかというと、決められたルールがおかしいと思っても、自分たちで声を上げたら変えられたという経験をしていないからなんですよね。運動会の慣習は学校の問題だし、そういう教育をしている教師の問題なわけだから、本来は怒りを向ける先は学校や教師であるはずです。

でも、小さいときから声を上げても潰されるという経験を繰り返していると、「どうせ変わらない」とあきらめて、状況を変える努力をしなくなる。それを「学習性無力感」といいます。そうなると不満や怒りを向ける先がなくて、自分より弱そうな相手に向かってしまう。同じことは、今の大人の社会でも起きている気がします。

星野俊樹さん

自分よりも弱い人や声を上げた人への攻撃は、SNS上でも繰り返されている(写真=北原千恵美)

子どもには違和感に気づく感性がある

――日本では声を上げて何かを変えることよりも、周りと協調することのほうが評価されやすい印象があります。

星野 子どもは語彙が少ないからうまく言葉にできないだけで、「何かおかしいな」という違和感に気づく感性は持っているんですよね。だけど、それを周りの大人や社会が「ふつう」という名のもとにどんどん潰してしまう。思い当たる経験が私にもあります。

小さいときに、祖父母から両親に手紙を書くように言われたことがあったんです。「お父さん お母さんへ」と書き始めたんですけど、「何で『お父さん』を先にする必要があるんだろう?」と、ふと思ったんですよね。うちは家父長制の色濃い家庭で、支配的な父のことが嫌いだったというのもあったと思います。それで私はあえて「お母さん お父さんへ」と逆に書いたんです。

手紙を渡したときには親戚もいて、父から「みんなの前で大恥をかいた」とすごく怒られました。その経験があまりに鮮烈だったので、「これは触れちゃいけないことなんだ」と、私はそれ以来、その疑問を心の中にしまい込んでしまいました。

――「何でだろう」と気づく感性はむしろ素晴らしいことだと思うのに……。

星野 今振り返ってみると、あのときの自分はすごくいいところに目をつけていたし、「センスいいねえ!」と小さいときの自分を自分で褒めてあげたいくらいです。

父の反応は、自分たちが疑いもしなかった家父長制を子どもが揺るがそうとしたことに対する、とっさの防衛反応でもあったと思うんですよ。

でも、子どもの違和感を抑え込むのではなく、「よく気がついたね。何でいつも『お父さん』が先なんだろう」と、いっしょに面白がることだってできたはずです。そう考えると、大人の声かけはやっぱりすごく大事だなって思います。

星野俊樹さん

「もしあの手紙を書いたとき褒められていたら、すごくうれしくなって、もっとほかの違和感を見つけてやろうとしたと思う」と星野さん(写真=北原千恵美)

フェミニズムに出会って楽になった

――星野さんは大人になり学問に出会ったことで世界の見え方が変わったと、ご著書にも書かれていました。

星野 子ども時代、私は家庭ではいい成績を取り、受験戦争に勝って社会の勝者になることを期待され、「男の子らしさ」のジェンダー規範に抑圧されて、自分らしく生きることができませんでした。中高生時代には、いじめられないよう男社会に過剰に適応しようとしたこともあります。でも、大人になってフェミニズムやジェンダー、人権に関する本と出会って、知識を得たことで変わりました。

とくにフェミニズムと出会ったことは大きかった。ずっと「生きづらいのは自分がダメだからだ」と思っていたのですが、フェミニズムを学んだことで、男性中心社会やマイノリティを抑圧する社会構造が生きづらさにつながっていることを知り、「自分の責任じゃなかったんだ」と気持ちが楽になりました。

星野さんのご著書

星野さんのご著書『とびこえる教室 フェミニズムと出会った僕が子どもたちと考えた「ふつう」』(時事通信社)。生きづらさを抱えて過ごした幼少期から学生時代の経験、大人になって得られたもの、教員としての実践のエピソードがつづられている(写真=北原千恵美)

自分らしく生きるための「生と性の授業」

――大学卒業後、出版社に勤めたのちに転職されて小学校教員になったそうですが、2017年から「生と性の授業」を始めます。きっかけは何だったのでしょうか。

星野 この授業は仲のいい学校の同僚といっしょに始めたものなんです。その同僚には自分がゲイであることを伝えていたのですが、ある日、私が「性的マイノリティが学校で教師として働くのはきつい」という弱音を彼に吐いたんです。

これまでの教員生活の中で、教員仲間から「独身なのは半人前。早く結婚しなさい」と言われ、保護者からは「結婚してなくて子どももいない先生に子育てがわかるのですか?」と言われ、教室では子どもたちからも「何で独身なの?変なの」と言われることがありました。そうした言葉に悪気はないと思いつつも、心がすり減っていました。結局、教員になっても「ふつう」を押しつけられる息苦しさは変わらなかったんです。

そういう私の弱音に対して同僚は、「だからこそ、多様で異質な他者との付き合い方を子どもたちが学ぶのは大事だよね」と言ってくれた。もともと自分と同じような思いを子どもにさせたくないという気持ちは持っていましたが、一人でやるのはやっぱり勇気がいる。でも、その同僚の言葉に力づけられ、味方がいるならやろうと思えました。

星野俊樹さん

「そういう価値観を大事にしている同僚や友人といっしょにいると、やっぱり自分自身も変わっていく」と話す星野さん(写真=北原千恵美)

――それで同僚の先生と一緒に始めたのですね。「生と性の授業」という名前にしたのはどうしてですか。

星野 この名前をつけたのは同僚なのですが、性教育には「TO BE」 と「TO DO」 があるといわれています。生殖器官や妊娠の仕組み、避妊の仕方などを学ぶのが「TO DO」の性教育。一方で、性とは本質的に「私」や「あなた」のあり方や生き方、つまり「TO BE」にも深く関わっています。支配や抑圧、暴力によらない健全な関係性をつくること、自分らしくあるためにどうすればいいのかといった「生」の教育と、性教育はつながっているものなのです。

生の教育は、セクシュアリティ、ジェンダーとも関係があります。しかし、それまで学校ではそうした教育は行われてこなかったし、自分も受けたこともなかったので、自分たちで一から手探りで授業をつくっていきました。

教えるタイミングは自然にやってくる

――どんなふうに授業をされていたのか気になります。

星野 教材やテーマをあらかじめ用意して、いきなり子どもたちに上から教えるのは違うと思っていました。子どもたちの生活の中で、「これは教えなきゃいけないな」みたいなタイミングが必然的にやってくるんですよ。

例えば、あるとき自主学習ノートに「『女子力』が低いと言われると、あんたに言われたくないわと思う。女子だからこうすべきと言われると男子がうらやましくなる。女子力アピールはたしかにうざい。けどやってしまう時もある」と書いてきた女の子がいたんです。これはいい機会だなと思って、その声を学級通信でみんなと共有しました。

そのうえで、「男らしさ」や「女らしさ」を考え直す絵本『こんなのへんかな?』の読み聞かせや、男の子がバレエダンサーを目指す映画『リトル・ダンサー』などの鑑賞を通じて注釈、ジェンダーバイアス注釈を考える機会をつくりました。そうしたら、みんながいろいろと自主学習ノートに感想を書いてきたんです。その中には「自分の希望を捨ててまで『らしさ』に従うべきなのか?」と書いていた子もいました。

星野俊樹さん

ニュージーランドの女性ラグビーチームが勇ましく声を出して踊る伝統的な「ハカ」というダンスの動画を見せ、「勇猛さは男性の専売特許じゃない」と子どもたちに伝えたこともある(写真=北原千恵美)

――日常の出来事や子どもたちの声を、生きた学びにつなげていったのですね。

星野 子どもたちには授業の感想や振り返りを毎回書いてもらっていたのですが、全員分の感想をいつも学級通信で配って共有していました。そうすると、「こんなことを、あの子は考えているんだ」「まさか、そんなふうに思っていたなんて知らなかった」となる。

他者の考えを知ることで、自分ではよかれと思っていたこと、当然だと考えていたことが、がらりと変わる経験をします。そのことで人間関係の質も変わってくるんです。学校は本当に多様な考えや価値観を持つ子どもたちが集まる場所。だからこそできる有機的な学びがあります。そこにとても希望を感じました。

「ふつう」を疑う視点を身につける

――「それって本当に“ふつう”なのかな?」と違和感を持ったときに、流さずに考えてみることは、大人になっても大事なことですね。

星野 学校にトランスジェンダーの中島潤さんを講師に招いて、子ども向けに「『ふつう』って何だろう?」という講演をしてもらったこともあります。そのときに中島さんが話してくれたのが「人はみんな違っていて、みんな幸せになる権利がある」ということ。

この授業をしながら、子どもたちには差別や抑圧を見抜く目を持ってほしいと思っていました。社会に存在する抑圧や差別の構造は共通しています。その構造を支え、本来は多様であるものを型に押し込めて、人間を「ふつう」と「ふつうじゃない」に分けようとする力に気づくには、ジェンダーやセクシュアリティについて学び、知ることが役に立ちます。

「ふつう」を疑い、ジェンダーバイアスから自由になって多様であることを認め合うことは、子どもたち自身があるがままの自分を肯定して、これからの人生を幸せに生きていくための力になる。そして、自分自身の肯定は他者への肯定にもつながります。

星野俊樹さん

写真=北原千恵美

――押しつけられた「ふつう」を見直すことの大切さは、ジェンダーやセクシュアリティの問題はもちろん、障害の有無や国や文化の違いといったことについてもいえそうです。「あるがままの自分を肯定する」ことは、自分らしく幸せに生きることでもあります。ただ、星野さんはそれだけではダメで教育の課題として次のステップが必要だともおっしゃっていますね。

星野 ジェンダーやセクシュアリティについての教育というのは、つまりは人権の話です。でも、日本では「人権=思いやり」みたいな考え方がすごく強くて、「一人ひとりが困っている相手に寄り添う気持ちが大事」みたいな、個人の心のありようの問題に矮小化されてしまいやすい。そうすることで差別や支配を生み出している社会の構造には目を向けさせず、「生きづらいのは自分がダメだから」という自己責任論を内面化させることに、学校教育も加担してきました。

しかし、不平等な社会構造を変えていかなければ、生きづらさは根本的には解決しません。「ふつう」を押しつけ、自分たちを苦しめている社会の構造があるのなら、子どもたちがそこに気づき、自ら変えていく主体になれるように育てる教育が、これからは必要だと感じています。

脚注

  1. 絵本『こんなのへんかな?』(文: 村瀬 幸浩、絵: 高橋由為子、出版社: 大月書店、出版年月:2001年1月)
    映画『リトル・ダンサー』(監督:スティーヴン・ダルドリー、製作年:2000年、製作国:イギリス)

  2. 性別の違いによる特定の役割や行動などに、無意識または意識的に固定的な思い込みや偏見を持つこと。

取材・文=中村未絵 写真=北原千恵美 構成=編集部

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