「まさか、決壊するなんて……」
台風が伊豆半島に上陸しようとしていた10月12日午後6時。すでに強い雨が降っていた長野県では、長野市を流れる千曲川沿いの各地区に避難勧告が発令された。
「地区のお年寄りなどに声をかけて回ったあと、高台にある避難所に向かったのは夜9時ごろですかね。翌朝には何事もなく帰れるだろうと思って、荷物はそんなに持って行きませんでした」
そう話すのは、津野地区に住む下川英紀さん(50歳)。サン・ファームの生産部長を務めるりんご農家だ。
午後11時40分にはさらに警戒レベルが上がり、避難指示となった。翌13日未明、千曲川は氾濫危険水位を超えたと見られ、70mにわたって堤防が決壊した。場所は穂保地区で、下川さんの自宅がある津野地区のすぐ隣だった。
「朝方になったらみんな慌ただしくなってきて、『(堤防が)切れたぞ、切れたぞ!』って。避難所から川の方を見たら、けっこう水が広がっているのが見えたので、これはもう相当な規模の決壊だなと。そのときはまだ、半信半疑だったんですが……」
ようすを確かめるため自宅に向かった下川さんは、変わり果てた光景を見て言葉を失った。すぐ近所にあった神社と家屋6軒ほどが流されていた。
「それを見た瞬間、自宅ももうないだろうと思ってがく然としました。でも、たまたま隣に地域の支所の頑丈な建物があったおかげで、決壊地点からの濁流の直撃を受けず、かろうじて残っていたんです。まさか、(堤防が)切れるなんて。想像を絶するような出来事でした」
下川さん宅の1階部分は完全に水没。家中に泥が入り込み、「全壊」の罹災証明を受ける被害だった。
だれも経験したことのない泥の脅威
サン・ファームは、パルシステムの産直産地としてりんごなどを栽培する。化学合成農薬や化学肥料の使用を抑える「エコ・チャレンジ」を8軒の生産者全員が100%クリア。25年以上にわたって産直関係を育む中で、パルシステムの「エコ・りんご」の供給量の約30%を生産するなど、高い栽培レベルを誇ってきた。
穂保地区に住むサン・ファーム代表の堀口貞夫さん(66歳)は、この年もいよいよ収穫のピークを迎え、組合員にりんごを届けられることを楽しみにしていた。そんな矢先、今回の台風でほとんどのりんご畑が水没した。
「『つがる』や『紅玉』の出荷が終わり、11月に旬を迎える『ふじ』の収穫作業が本格化するというときでした。収入的には、例年の2割行くか行かないか、ぐらい。あとの8割以上は水没です」
8軒の生産者のうち、家屋は1軒を除いて浸水、りんごのほ場(畑)はほぼすべてが浸水被害を受けた。浸水は深いところで床上1.8mに及び、場所によっては50cmもの泥が堆積した。
「とにかく、ベト(泥)の堆積量がはんぱじゃないんですよ。うちも40~50㎝ぐらい積もっていました。水が引くときに、よどんだところに堆積しちゃったんだろうね」(堀口さん)
川から押し寄せた泥水は、地区中を駆け巡り、家の軒下や扉、窓のすき間などから入り込んで、屋内や倉庫にもヘドロのような泥を残していった。
「この辺りは、歴史的に何度も洪水が起きてきた地域なんですが、話に聞いたことがあるだけ。自分たちの世代では、だれも経験したことはありません」(下川さん)
津野地区の支所には、歴代の洪水の水位が示されている。過去最高は1742年の「戌(いぬ)の満水」で3m50cm。そして2番めが今回の3mだ。
「何としても再建させたい」
被災から4日後の10月17日、パルシステムの青果・米を扱う子会社である株式会社ジーピーエスは、状況を確認するため現地を訪問。事態を重く見て、本部のパルシステム連合会に緊急支援を要請した。
「とにかく、すぐにでも人手が必要でした。『エコ・りんご』の主力産地ですし、何としても再建させたいという思いでした」(株式会社ジーピーエス果実課課長・堀口将臣さん)
パルシステム連合会は、産地側のニーズを把握したあと、グループ全体に支援要員の派遣を要請することを決め、各会員生協と子会社に呼びかけた。10月23日から11月15日まで続いた職員の派遣は延べ412人に上った。
現地でコーディネーターを務めたパルシステム連合会地域活動支援室の鈴江茂敏さん(56歳)は、この規模の派遣は、かつてないほど思い切った決定だったと話す。
「これまで、産直関係を丁寧にはぐくんできたからこそです。これだけの被害を受けた産地をみんなで助けなきゃいけないという気持ちが、職員の間でも支援に動く大きな動機になったと思います」
各農家からは、こうした支援に喜びの声が上がった。
「ものすごく助かりました。人の力って大きいんだなということを感じます。自分たちだけじゃ、絶対無理。もっと作業が遅れていたかもしれない。人数がいないと話にならなかったです」(下川さん)
「余計な負担はかけさせたくない」
支援活動の初めの2週間は、とにかく住まいの生活基盤を整えるため、自宅や倉庫などの屋内と周囲にたまった泥のかき出し、浸水した家具やごみなどの搬出が優先された。しかし、なかなか乾かずに水を含んだままの泥の重さは、職員の想像を超えるほどだったという。
「スコップですくっても持ち上がらないので、『結局、手ですくいました』とか、一輪車に載せても動かないので、『ござに載せて引っ張りました』という人もいました」(鈴江さん)
そして後半の2週間で、ようやくりんご畑の掃除や泥出しに着手することができた。派遣最終日の11月15日、パルシステム神奈川ゆめコープ財務会計課課長の小田原靖倫さん(47歳)が作業のようすを説明してくれた。
「畑には、材木や集荷用のかご、灯油のタンク、稲刈り後のわらなどが流れ着いて、樹にもいろいろ引っかかっているから、まずそうした漂着物を取り除きます。浸水したりんごは洗っても出荷できないので、すべて樹から落とすしかない。それから、枝や葉についた泥が残らないように払い落とす作業も必要です」
派遣された職員は日常業務もあるため、ほとんどが日帰りで支援に参加していたが、小田原さんは計6日間、泊まりがけで支援活動に入っていた。慣れたようすで周囲に目を配り、初めて来た職員にも声をかけながら作業を進めていた。
「少しでも長くいられれば、受け入れる産地の人たちに余計な負担をかけさせずに済むのかなと。毎日作業の指示をしたり段取りを考えたりするだけでも大変ですから。言われなくても動くことができれば、堀口さんも、別のことに動けますからね。なかなか1週間も職場を空けるわけにはいかないですが、職場の人たちが理解してくれているので、仕事のことは任せて、とにかく産地の助けになれればと思っています」
「同じ生産者として、いてもたってもいられなくて」
パルシステムの他の産地からも、助けになりたいと支援に駆けつけた人がいた。新潟県で米を生産するJAささかみの江口聡さん(62歳)は、サン・ファームの堀口さんとは旧知の仲だ。パルシステムには、生産者と消費者が協議する場として、パルシステム生産者・消費者協議会(生消協)があるが、二人はかつてその役員同士。熱心に議論を交わして産直の関係を共に築いてきた。
「堀口さんとはよく酒を飲んだ仲間。同じ産直産地として、いてもたってもいられなくて。初めて被害状況を見たときは、もう言葉になりませんでした」
そう話しながら、江口さんは黙々とりんごの樹の周りの泥をスコップでかき出していく。早く泥をどけないと、根が呼吸できず窒息してしまうおそれがあるためだ。
広大なほ場の泥出しは、人力では限界がある。そこで力を発揮したのが、生産者が持っている技術だ。この日、江口さんのほかに集まったJAささかみの3人は、慣れた手つきで重機を運転し、次々と泥をかき出して園地の隅に山を作っていった。メンバーを集めたのは、JAささかみ専務理事の折笠勝一さん(60歳)だ。
「被害の知らせを聞いて、ささかみのメンバーで話し合ったんです。行ける人だけでもいいから、ボランティアで行こうと。その後、生消協からも正式に呼びかけがあったので、新潟から車で駆けつけました」
同じ生産者同士、作物にかける思いは共通だ。特にりんごのような果物は、米と同じく年1回しか収穫できない。その作物が被害を受ければ、1年分の収入減につながってしまう。かつて、JAささかみも同じように水害に遭った経験を持つだけに、他人事ではいられなかった。
「これから来年まで収穫がないわけだし、下手したら来年もどうなるか、という状況の中で、自分ならどうするんだろうって。周りからの支援がなければ、産地だけではとてもやっていけないですよ」(折笠さん)
国の支援策、行政の対応は十分か
サン・ファーム全体の被害額は、今季の出荷物だけで約6千万円(約200t)、家屋と農機具、設備で各戸1億円以上、総額は9億円以上に上ると見られる。
だが、話はそう単純ではないと下川さんは言う。
「花が咲いても、樹のダメージが大きいから、わざと実をつける量を少なくします。だから当然、収穫量は落ちますし、減収減益を覚悟しています。もし、今いちばん実をつけるぐらいに生長した樹が枯れてしまえば、今後10年、お金にならないわけです。そうやって何十年先まで計算すると、ものすごい金額になる。だから、本当の被害額というのは未知数です」
こうした被害に対して、国や行政の支援はとても十分とはいえない。
国は、浸水の高さで被害レベルを認定。床上浸水1m未満は「半壊」とし、原則として被災者生活再建支援法に基づく支援金の対象外とした。長野市は国が出したこの通知にのっとって被害を判定し、罹災証明を発行している。サン・ファームの中でも、各生産者の住む地域によって浸水の高さや泥の入り方が大きく異なるだけに、行政の一律的な対応に、堀口さんは不満を漏らす。
「(浸水が)1mなのか、2mなのかって見られるわけだけど、たとえ1mでも泥が入れば1階はそっくりダメになるわけで、柱と骨組みだけになっちゃうんですよ。そういうことをちゃんと見ないで、机上の考えで決めたような測り方でいいのかなって思います。行政にも、地域に暮らす仲間を応援しようという気持ちが欲しいよね」
せめてもの救い
職員を派遣しての支援活動は11月で一段落したが、産地では今後、春の開花期までに、高圧洗浄機で樹の枝や花芽についた泥を洗い流す作業が必要になる。泥がついたままだと、りんごが病気になるなど二次被害を招く懸念があるためだ。
「洗浄も1回やればいいってことではありません。幹をちゃんと洗っておかないと、雨で泥が流れ落ちて、実の中にたまっちゃう。だから、この冬の寒い中、2回、3回と、洗浄しなきゃならないんです」(堀口さん)
近年は20~30代の若手が育ってくるなど、産地の将来にも期待を寄せていた矢先の出来事だっただけに、落胆は大きい。しかし幸いなのは、今のところサン・ファームで廃業する農家はいないことだと堀口さんは言う。
「もうやめたい、という人はいないです。みんな、来年に向けて頑張っていきたいという気持ちでやってくれているので、ほっとしています。それが、せめてもの救いかな」
津野地区より下流の赤沼地区で被害に遭った小滝和宏さん(36歳)も、若手生産者の一人。この状況に戸惑いながらも、気丈に前を見つめようとしていた。
「親からりんご農家を継いで5年。園地を2倍に拡大し、冷蔵庫も新しくしたばかりでした。来季はとにかく頑張ってりんごを出せるように努力します。それしかできないので」(小滝さん)
「組合員にも、できることを」
現地での支援活動のほかにも、パルシステムは10月21日からの1か月間で、「台風19号被害緊急支援募金」を組合員に呼びかけた。総額1億円以上が寄せられ、サン・ファームをはじめとする産直産地や取引先、支援団体の活動費や被災者に直接支払われる義援金として贈呈された。
12月25日に行われた支援金贈呈式では、堀口さんは目に涙を浮かべ、何度も言葉を詰まらせながら感謝の思いを語った。
「本当に絶望的な状況の中で、敏速に声をかけていただき、一歩一歩、我々が前進できるように動いてくれたのがパルシステムでした。ただひたすら、『ありがとうございます』という言葉しかありません。何とか本来のりんご園の姿を取り戻して、また来年、組合員さんにりんごをお届けできるようにしたいです」
こうした中でも、奇跡的に被害を免れたりんご園もあった。そこで、パルシステムでは、緊急応援企画として12月16日週(12月3回)のお届けで販売。限定数1万5千点を大幅に上回る3万3千点の注文が殺到し、大きな反響となった。
組合員からは、「わたしも応援したい」などの声が数多く届いた。
みつの入った大きなりんごと、小ぶりなりんごが届きました。見た目も問題なく、いつものとおり皮ごと食べました。破棄されなくて本当によかったと思います。支援できてよかったです。(パルシステム神奈川ゆめコープ・Y.Oさん)
募金や商品利用だけでなく、ボランティアとして力になりたいという組合員も少なくない。テレビのニュースを通じて産地の被害を詳しく知ったパルシステム神奈川ゆめコープの湯浅千恵子さんは、次のメッセージを寄せた。
募金を呼びかけているのは知っていましたが、現状は全く知りませんでした。ここまでの被害とは……。どうぞ組合員に(しっかり状況を)知らせてください。また、組合員にボランティアを募ることもご検討ください。募金だけでなく、組合員ができることもご検討いただけましたら。
「りんごで恩返しがしたい」
昨年は千葉県でも台風15号によって、多くの取引先の産地やメーカーが被害を受けた。その後も、この19号、21号による大雨が相次いだ。気候変動の影響もあり、いつ、どこで自然災害が起きてもおかしくない。そうした状況を踏まえ、生協の災害支援の在り方も見直す必要があるかもしれない、とパルシステム連合会の鈴江さんは考えている。
「今回のような産地間の助け合いが、もっと必要とされてくるかもしれないですね。これだけ各地で頻繁に災害が起きてくると、そのたびに募金を集めるという従来のやり方にも、無理が出て来るのではないでしょうか。基金のような形で最初から用意しておいて、災害が発生したら急いで拠出するというような方法も、考えたほうがいいのかもしれません」(鈴江さん)
商品利用による「買い支え」は、組合員にもできる継続的な支援の形の一つ。来季にはきっと、サン・ファームの「エコ・りんご」が商品カタログや注文サイトに載っているであろうことを祈るばかりだ。
生産部長の下川さんは、あくまで「エコ・チャレンジ」の継続にこだわりたいと話す。
「樹の状態を守るために、春先の消毒は1回増やさないといけないとは思いますが、絶対に『エコ』の基準で栽培できるように頑張ります。台風被害を受けたりんごだからと、思わぬ風評被害や買い控えが起きるのではないかという心配もないわけではありません。でも、生協の組合員さんとは、これまで築いてきた信頼関係がある。そういうものも払拭できるのではないかと願っています」(下川さん)
復旧作業に参加した職員も、この先の支援の形に思いをはせている。パルシステムの配送トラックで13年余り商品を配達している株式会社パルラインの北村一紀さん(40歳)は、産地に来るのも今回が初めてだったという。
「職場に戻ったら、生産者さんの気持ちになって、商品をお届けしている組合員の皆さんに、その思いを伝えたいです」と、静かに決意を語った。
堀口さんは、言葉にならない一人一人の支援に対する思いを感じながら、改めて“産直”の意味をかみしめている。
「もう本当に、なんと言っていいか、すべてが励みですよね。やっぱり自分たちがこだわったりんごを作ってきたことで、こうやって皆さんに助けてもらえているのかなということを、痛感しています。こんな被害は二度とごめんだけど、今回の経験で改めて気づいたことでした。今は、『エコ・りんご』という商品をこれからも組合員さんに届け続けたいという気持ちだけ。これだけの応援にこたえられるような農業をして、りんごで恩返しがしたいです」(堀口さん)