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写真=疋田千里

家電もモノもない生活は寂しくないのか? 「アフロ記者」稲垣えみ子さんが手に入れた“自由”

  • 暮らしと社会

トレードマークはアフロヘア。新聞の連載コラムや報道番組への出演などで注目を集めてきた元朝日新聞記者・稲垣えみ子さん。エリートの道を歩んできたように見える稲垣さんが、3.11をきっかけに始めたのが、「個人的脱原発計画」だ。家電製品を次々と手放し、食生活や住まいをシンプルにしていった結果、電気代は今や月200円以下に。究極のミニマムライフを送る稲垣さんが、モノに縛られない自由を手にする中で見えてきたものとは?

原発事故の責任の一端は、自分にも……

――今のライフスタイルに至るきっかけは、東日本大震災で起きた原発の事故だったそうですね。

稲垣 あの時、恐らく多くのみなさんがそうだったと思うのですが、私も、福島第一原発が水素爆発を起こしたことを知って、ただただ恐ろしくて、不安でいっぱいになりました。

 新聞社に勤務していたので、もちろん以前から原発の危険性を訴える人たちがいることは知っていましたが、正直言って、ほとんどまともに向き合ってはこなかった。原発はないに越したことはないけれど、なくすのは非現実的だと決めつけていたんです。それに、日本の技術は優秀なんだ、事故なんか起こるわけないと、たかをくくってもいました。

 ところがその結果、ああいうとんでもないことが起きて、恐怖や不安と同時に、ああ、この責任の一端は私にもあるんじゃないか……という複雑な感情が湧いてきたんです。

写真=疋田千里

――それで始めたのが、「個人的脱原発計画」ですね。

稲垣 はい。さすがにもう、原発の存在をあいまいに認めることはできないと思いました。でも私自身、原発があるからこそ今の便利な暮らしを享受していることも事実です。このままでは、確信をもって「原発なくせ」とは言えない。原発の問題を言うのだったら、原発のない暮らしを曲がりなりにも体感してから物を言うしかないと考えたのです。

 当時住んでいたのが、発電の半分を原発でまかなっていた関西電力の管内だったので、とりあえず、電気代半減を目指すことにしました。

 といっても、最初は冷蔵庫や洗濯機まで手放そうとは想像だにしていませんでした。でも、そもそもエアコンも苦手でそれほど電気を使っていなかったので、明かりを小まめに消したり待機電力節約のためプラグを抜いたりといった程度では半減どころか微減にしかならなかったんです。それで目標完遂のためには、それまで当たり前に使ってきた家電を「やめる」という強硬手段をとらざるを得なくなってしまった。

家電なしの生活は、ワクワクする冒険の世界

――節電をしなければとは考えても、家電を手放すという思い切った行動はなかなかできないと思います。後悔はなかったですか?

稲垣 それがね、意外になかったんですよ。もともと震災前、友達に触発されてぞうきんとほうきで掃除をするようになったら、あんなに嫌いだった掃除が大好きになって、部屋がめちゃくちゃキレイになったという体験が大きかったかもしれない。そうか、私は掃除が嫌いだったんじゃなくて掃除機が嫌いだったんだと(笑)。洗濯も、洗濯機をやめて毎日手で洗うようにしたら、汚れ物をためることもなくなるわ、下着もタオルも2セットあれば十分になって部屋が広くなるわで、いいことづくめだった。

 電子レンジも冷凍ご飯を解凍するために絶対必要だと思っていたんですが、蒸し器で解凍してみたら、これがめちゃくちゃおいしかったんですよ。今まで何十年も微妙にまずいレンチンご飯を食べてきたのは一体なんだったんだと(笑)。もっとも今は冷蔵庫もないから、冷凍ご飯を解凍する必要もなくなったんですけどね。

 電気のことなんて何も考えていなかったころは、何か不便があったら、新しい道具を買うとか、より便利なものを見つけるとか、そういう方向にすぐベクトルが向いていたんです。でも家電を使わないようになってからは、自分で頭を使っていろいろ工夫するようになった。最初は恐る恐るという感じでしたが、やってみると、何だか、自分の中に眠っていた力が目覚めるみたいで、やたら面白いんですよ、これが。

写真=疋田千里

――お話を聞いていると、不便というより、楽しそうですね。

稲垣 そうでしょ(笑)。それに、もう1つ、家電がないとすごくいいことがあるって分かったんです。

 それは、スペースが空くこと。家電製品って、かなり場所をとるじゃないですか。最初に電子レンジを処分したとき、「台所、広いっ!」って感動しました。そのとき初めて、私はこれまで、家電のために高い家賃を払ってきたんだと気づいたんです。豊かになったつもりが、実は一方で貧しくなっていたんじゃないかと。

 そんなこんなで、ある種の冒険のようなワクワクする感覚で家電離れがエスカレートしていきました。あれも、これも「なくてもいけるんじゃないか」と。で、やってみたら案外いけるんです。あれも、これも。

写真提供=稲垣えみ子

冷蔵庫がなくても、困ることはない

――でも、さすがに、冷蔵庫のない生活というのは想像できないのですが…。

稲垣 そうですよねー。冷蔵庫って食を司るインフラですからね。それなくしては食べていけない。つまり生きていけないと私もずっと思っていました。今も「どうやって食べているの」とよく聞かれます。

 でも妙な話ですが、冷蔵庫を使わなくなってからのほうが、食べものを腐らせることがずっと減ったんですよ。

――なんと、本当ですか? 余った食べものは、どうやって保存しているのですか?

稲垣 パルシステムさんには申し訳ないのですが(笑)、簡単に言えばその日に食べるものしか買わない。

 それでも、一人暮らしなので野菜やなんかはどうしても残る。それはベランダに干すか、ぬか床に入れます。やってみて気づいたんですが、干すって太陽が半分火を通してくれるっていうことなんだと。味がぎゅっと凝縮されるだけじゃなくて調理時間もすごく短くなる。ぬか床も本当に重宝です。とりあえず野菜を入れておけば翌日にはおいしい漬け物ができ上がっている。これは控えめに言っても魔法じゃないかと(笑)。

 残ったご飯は、大好きな時代劇からヒントを得て、「おひつ」に保存することにしました。日持ちするし、水分が適度に抜けるので、冷やご飯のままでも実においしいんですよ。

 考えてみたら、冷蔵庫が普及する前はこういうことが当たり前だったんですよね。みそやしょうゆも冷蔵庫のない時代に生まれたものですし。高温多湿の日本には、食材を保存し、有効に食べるための知恵が長い時間をかけて培われてきた。それをある意味、冷蔵庫という存在が瞬く間に奪い去ったともいえるんじゃないかと。

写真=疋田千里

“自分のサイズ”が分かって、ほっとした

――「個人的脱原発計画」がご自身でも思いもよらぬ形に進化してきて、いろいろな気づきがあったのですね。

稲垣 そうですね。やっぱり、冷蔵庫を手放したことが一番大きかったですね。「私が生きていくのに必要な物ってこんな少しだったのか!」と衝撃を受けました。だって前はスーパーに行くと、別にぜいたくしているつもりはなくても、何千円って普通に使っていたんです。それが、シビアにその日に食べるものだけを買うとなると200円、300円しか買えない。何も買わないで店を出て帰ってくることもある。私って所詮はその程度のものだったんです。自分のちっぽけな“身のほど”が初めて分かった。

 それはある意味、実につまらない発見でした(笑)。でも一方で、どこか深いところでホッとしている自分がいたんですね。欲望にはキリがない。今思えば、欲しい物を端から買っていた時代も、消費生活を堪能しながらどこかで不安を抱えていた気がします。欲しい物を手に入れても、またさらに欲しい物が出てくる。どこまで行っても満足がない。ゴールは一体どこにあるんだと。

 それが、「これだけあれば十分」という自分の小ささがわかって、少し寂しい反面、何かつきものが落ちたというか、たぬきに化かされていた世界から元に戻って、大きな意味での安心を手に入れたような気がしたんです。

――ご著書『寂しい生活』のなかで、便利な暮らしと決別することを「チューブを抜く」と表現していたのが印象的でした。

稲垣 家電とかいろんなものをやめたというと、みんな「偉いね」とか「いつまで続けるの」と言うんです。つまり、我慢していると思われるんですね。でも本人にとっては全然そうじゃない。なんかスカスカしているんだけど、えらく清々したというか、爽やかな風に吹かれてるような感じというか。で、それをどう説明しようかと色々考えていて、ふと思ったんです。これまで便利なものに囲まれて暮らしてきた私って、必要な栄養や薬を補給してくれるチューブにつながれた重病人のようなものだったんじゃないかと。

 そのチューブを、死ぬかもしれないとびくびくしながら1個ずつ抜いてみたら、あれ、案外平気じゃないかと。で、いつの間にか全部抜くことができたんです。そうしたらベッドから起き上がって、自分で歩いて、初めて病室から外に出ていけるようになった。それが今の私なんじゃないか。

 ああ、これを自由っていうんだって。生まれて50年もたって、初めて本当の自由とは何かが分かった気がしました。

 私はこれまで、自由っていうのは、お金をたくさん手に入れてなんでも好きな物を手に入れることだと思っていた。でも全く逆だったんです。何かを手に入れることじゃなくて、「何もなくてもやっていける自分」を作ることが自由だった。そう気づいたら怖いものがない気がしてきて、図に乗って会社も辞めてしまった(笑)。

写真=疋田千里

生まれて初めて、他人の幸せが自分の幸せに

――家電やモノに囲まれた生活をやめ、会社もやめ、人との関わり方は何か変わりましたか?

稲垣 すごく変わったと思います。というのも、会社を辞めて給料がもらえなくなったので、今人生で一番小さな家に住んでいるんですが、そうなると、外に頼って暮らさざるをえないんですね。家電製品もないしガス契約も辞めてしまったので、風呂は歩いて3分の銭湯ですし、近くの小さなスーパーがわが家の冷蔵庫だし、近所のカフェが書斎です。つまりは街全体がわが家。そうなると、これまでは他人に関わるって面倒くさいとしか思っていなかったのが、今はもう、お風呂屋さんも近くの商店街も行きつけのカフェも、私の暮らしを快適にしてくれる大事なインフラなので、自然に大事にしなきゃという気持ちになります。

 お世話になっているところでは、お金も気も遣うし、もらい物をしたらおすそ分けもする。そんなことってこれまで考えたこともなかった。むしろ競争社会の中で、他人の幸せは自分の不幸と当たり前に考えてきた。それが会社を辞めて、家から物をなくして初めて、他人の幸せが自分の幸せだと思えるようになった。つまりは私、急に「いい人」になったんです。これはもう奇跡です(笑)。

 人に嫉妬したり、うらやんだり、劣等感を抱いたり……無意識に他人と比較して勝った負けたと一喜一憂するって、思い返せばこれまで実にしんどいことをしてきました。それがようやくカルマを抜け出したというか。まさか、節電という入り口からこんなところにたどり着くとは考えてもみなかったんですが。

ごはんは毎日「一汁一菜」でも、全く飽きない

――では、これからの私たちにとって必要なのは何だと思いますか?

稲垣 いやいやそんな大それたことを言える立場じゃないんですけど、私個人のことについて言えば、今の私を支えているのは、何がなくてもそれなりに楽しく生きていけるという自信で、それをもう少し具体的に言うと、生きていくために必要な「衣・食・住」を自分の手で何とかできるという感覚なんだと思います。

 つまりは、たくさんのお金も物もなくたって、自分が食べたい物を料理できて、住まいを心地よく保つことができて、少ない洋服でもおしゃれができるとなれば、何も怖くないじゃないかと。そこがしっかりしていれば、例えば会社が倒産するとか、妻や夫や親に捨てられるとか、天変地異が起きるとか、様々な人生の困難に見舞われても、まあ前を向いて朗らかに生きていけるんじゃないか。

写真提供=稲垣えみ子

 食べることについていえば、料理研究家の土井善晴さんが「一汁一菜で十分」と提唱して話題になっていますが、私の食生活もまさにそれ。毎食、ごはん、汁物、漬物という超ワンパターンな食卓ですが、毎日でも飽きないどころか、そんなご飯が楽しみすぎて走って家に帰るありさまです。しかもお金も時間もかからない。なんだこれで良かったんじゃないかと気づいたら、こりゃもう人生大丈夫だなと。だっておいしいものさえ毎日食べることができたら、人生ってもうそれだけでだいたい幸せじゃないですか。

参考記事:「一汁一菜でよいという提案」 土井善晴さんがたどりついた、毎日の料理をラクにする方法(KOKOCARA)

 そういう自分に気づくことができたのも、考えてみたら冷蔵庫をやめたからなんですね。冷蔵庫があるときはあれもこれも食べたいと常に目移りして、様々なものを買い込んでは腐らせてきましたが、ないとなれば江戸時代みたいな食生活をするしかない。で、実はその中に無限の満足があったんです。なんだか不思議ですよね。

 だからもし、今、「1億円あげるから冷蔵庫を使って」と言われても、絶対お断りします(笑)。家電は、買った瞬間が能力のピークですが、自分の能力って無限に進化する。宝の山は自分の中にあるんです。そんないちばんおいしいところを誰かに持っていかれるなんてもうもったいなくて。

撮影協力/Under the mat 取材・文/高山ゆみこ 撮影/疋田千里 構成/編集部