緑豊かな風景、安らぎの時間
「パォ~~ン!」。あいきょうのある鳴き声とともに、インドゾウのシュリー(メス、31歳)が屋外に出てきた。よこはま動物園ズーラシア(以下、ズーラシア)注釈の人気者である。長い鼻を器用に使いながら、エサである草をおいしそうに食べている。
赤ちゃんを伴った家族や、夫妻とおぼしき年輩のカップルが、シュリーの様子を笑顔で見つめていた。
園内を巡れば、うれしそうに声を上げる海外からの旅行客。動物たちのシャッターチャンスをねらうカメラ愛好家。子どもたちを遊ばせながら、カフェでおしゃべりに夢中の母親たち。

写真=深澤慎平
1周約4キロもある園内ではあるが、なだらかで広い導線上には、日よけやベンチなども随所に設置されていて、気持ちよさそうに昼寝をしている人、スケッチブックを片手に写生にいそしむ若者もいた。
バリアフリーの配慮もみられ、車いすの人やベビーカーを押す人も安心して楽しめそうだ。日常的に見られる風景、安らぎの時間が、園内にはあった。
「野生動物はもちろん、野鳥や昆虫もたくさんいます。オタマジャクシ、トンボも人気があります。お父さんがお子さんにカブトムシの見つけ方を教えたり、お母さんとお子さんがいっしょにドングリ拾いをしたり、ここは身近な自然に触れられる場なんです」

写真=深澤慎平
そう話すのは、獣医師でズーラシア園長の村田浩一さん注釈。誰でも分け隔てなく訪れることができるので、ひとりでふらっと来ても、自分のペースで楽しむことができる。この動物園は、そうした地域の“憩いの場”として愛されるよう、入念に努めてきた。
厳しさを増す動物園の運営
実は、国内の動物園を取り巻く状況は、年々厳しさを増している。
戦後の高度経済成長とベビーブームの時代は、集客をしなくても多くの人で賑わった。レジャーと呼ばれるものの選択肢が現在ほど多様ではなかったことも優位に働いた。
しかし、多彩なアミューズメント施設が各地で開発され、刺激的なアトラクションに興味関心が移行していくなか、少子高齢化の加速も相まって、「動物園に行って野生動物を見よう」というニーズに、かつてほどの勢いはない。
「光熱費、エサ代、人件費が上がり、動物園・水族館の経営は大変です。とくに当園は公的な施設なので、運営コストが上がっても、安易に入園料を上げることができません。これからどのような場づくりをし、発信していくのか。課題は大きいです」

写真=深澤慎平
日本動物園水族館協会会長の立場でもある村田園長は、とくに小規模の動物園の今後の存続を危惧している。とはいえ“いのち”を預かる責任として、安易に閉園することも許されない、という思いもある。
そんななか村田園長は、動物園には見学やレクリエーションの場としてだけでなく、さらなる可能性が芽生えつつある、とも感じ始めている。
生物多様性条約注釈のもと、自然環境の保全と脱炭素社会の推進は、今後ますます企業活動にも課せられていく時代がすでに見えている。その実現の場として、動物園という場が最大限活用できるのでは、と期待を寄せる。

写真=深澤慎平
「TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)やCSR活動、社員向けの環境教育など、
時代を先取りしてきたアイデアと実践
動物園として国内最大級の広さをもつズーラシアは1999年4月、横浜動物の森公園内に第1次開園した(2015年4月にすべてのエリアがオープン)。
この巨大動物園の開園は、当時大きな話題となった。それが「生息環境展示」と呼ばれる先進的コンセプト。
動物を檻に入れて並べる従来型ではなく、動物が本来暮らす環境そのものを再現し、来園者がより本物を体感できる画期的な展示方式だった。
「めざすは、園内で楽しめる“世界一周の動物旅行”。動物園は“野生への窓・扉”とも言われますが、動物たちがどんな環境で生活しているのか、身近に感じてもらえる展示にこだわっています」と語るのは、イベント企画や広報を担当する事業推進係の上田佳世さん。

ズーラシアのイベントを担当する、上田佳世さん(右)と有馬一さん(左)(写真=深澤慎平)
「生命の共生・自然との調和」をメインテーマに、園内は世界の気候帯・地域別に8つのゾーン注釈に分けられているズーラシア。日本初渡来の希少動物をはじめ、約100種570点もの動物が暮らす。
ユニークなサバンナの混合展示注釈をはじめ、バックヤードツアーなど人気の展示やイベントは数多い。平日を含め毎日実施される「飼育員のとっておきタイム」では、約13種の動物の生態について、飼育員が分かりやすく解説してくれる。
「動物園は楽しみながら学べるところだと考えています。さまざまな動物の見どころを解説するキーパーズボイスは、飼育員自身の視点で解説する看板で、私たちの思いが込められていて、常連の来園者にはファンも多いんですよ」

園内じゅうに設置されている「キーパーズボイス」(写真=深澤慎平)
また、年に1度開催する「ドリームナイト・アット・ザ・ズー」注釈では、障がいのある子どもたちとその家族が気兼ねなく楽しめることを目的に、閉園後の夜間に「完全貸切」で場を提供している。
「周囲の目を気にすることなく、自分たちのペースで動物を観察していただけます。人混みが苦手なお子さんや、車椅子を利用するご家族も安心して過ごせる特別な空間なんです」(上田さん)
一人ひとりの感性を刺激し、行動につなげる
動物園を「場」として楽しむべきは、子どもだけではない。地域に暮らす多様な人々に配慮した多様なアイデアと取り組みが、次第にズーラシアの存在意義を地域社会に知らしめていくことになった。
事業推進係長の有馬一さんは「世代を問わず、だれでも来たいときに訪れることができるのが、動物園の醍醐味なんです」と強調する。
小学生を対象とした「ズーラシアスクール」は、単発ではなく半年間という時間をかけて、動物の生態などを学ぶプログラム。

写真=深澤慎平
教室での座学だけでなく、実際の展示場へ足を運び、「動物がどこに隠れているか」「どんな行動をしているか」「どんな植物が植えられているか」など「生息環境展示」を通じたフィールドワークが、子どもたちの五感を刺激しているという。
「動物園は“命の博物館”とも呼ばれます。生きた動物に接して、関心を持ってもらえれば、そこから先は、来園されたかたの感性を信じて委ねていきたいですね」
出会い、感動し、好きになる。自然環境や野生動物を守りたい!と自ずと感情が湧き上がる。そのきっかけづくりに動物園は大きな役割を果たすはず、と有馬さんは信じている。

写真=深澤慎平
「水鳥の雛がいるときは、水辺の草を半分だけ刈るとか、生き物を守るために自分に何ができるのか。足元の自然の恵みとともに一人ひとりが考えることが、生物多様性の保全と持続可能な社会につながります。そのためにも動物園の運営に携わる側が、日々の飼育や研究について、しっかり経験と知識を深めることが問われます」(有馬さん)
世代を超えた「地域の居場所」へ
村田園長はじめ、ズーラシアに従事するスタッフたちの根本にある考えは、動物園運営に関わる人ならば誰もが通過する「動物園学」の学びに由来するところが大きい。獣医師で元・上野動物園長の中川志郎氏注釈がかつて提唱した理論だ。
「お客さまには、野生動物に限らず、未知なものと出会い、喜び、わくわくする感性を養ってほしい。踏みしめている土壌に息づく微生物やミミズでもいい。さまざまな生き物と接して、自分も一つの命だと感じる。自然に対する感性を一人ひとりが抱くことで、大きな社会変革が可能となります」(村田園長)

写真=深澤慎平
動物園に息づくのは、動物や自然だけではない。訪れる人たちにもまた、それぞれの生活、営みがある。
世代、性別、人種、国籍の違い、障がいの有無を問わず、だれもが享受できるコミュニティ。都市への一極集中と少子高齢化が進むなか、ズーラシアをはじめ、動物園という場はこれまでの役割を超えて、地域づくりを考えるうえでも重要な拠点のひとつになっていくはずだ。
「自然を乱開発し、野生動物を追い出すのではなく、経済成長とバランスをとりながら、ライフスタイルを問い直す。私自身、園内にある自然体験林を巡視し、センス・オブ・ワンダー(レイチェル・

写真=深澤慎平