ドイツでも巨大事故が起きない保証はどこにもない
「まず疑問に思うのは、広島と長崎に原爆を落とされたにもかかわらず、なぜ日本はこれほどたくさんの原発を持っているのか。そして、地震の多い国であるにもかかわらず、なぜ原発をつくったのか。これはドイツ人には到底理解できないことです」
16歳の時に日本に留学するなど、日本滞在が通算5年に及ぶミランダさんは、縁の深い日本について、こう投げかける。1963年、アメリカ・ニューヨーク州で生まれ、日本への留学の1年前にはスリーマイル島の原発事故が起き、学校が長期休校するかもしれないという緊迫した事態を経験した。その後、日本、アメリカ、ドイツの大学で教鞭を執るほか、ドイツ政府の環境政策の委員を歴任してきた。
そんなミランダさん宛てに、アンゲラ・メルケル首相の秘書から電話がかかってきたのは、福島第一原発事故の2週間後のことだった。それは、エネルギーについての初めての倫理委員会だった。
「倫理委員会を作るのですが、メンバーになってくれませんか?」
ドイツでは事故当時、16基の原発が稼働していたが、事故の4日後、メルケル首相は1980年以前から稼働していた7基の原発を即時停止させた。そして原発政策を検証するふたつの委員会を作り、ドイツの今後について提言をまとめようとしたのだ。
そのうちのひとつ、「原子炉安全委員会」がまとめた鑑定書では、ドイツの原発は福島の原発よりも安全性が高いと認められるとし、原発の停止には一言も触れなかった。
ところがメルケル首相が重視したのは、もうひとつの委員会である「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」(通称「脱原発倫理委員会」)の提言書だった。委員会のメンバーはミランダさんを含む17人で構成されたが、原子力や電力会社の関係者はひとりも含まれなかった。
脱原発倫理委員会は原発のリスクについて検討し、ドイツでも福島規模の巨大事故が起きない保証はどこにもないとの判断を下した。また、放射性廃棄物を将来世代に残したまま、エネルギー多消費の生活スタイルを享受し続けることは倫理的に許されないと明言。再生可能エネルギーへの転換を迫る勧告を発表した。これを受け、3.11からわずか3カ月後の2011年6月30日に、ドイツ連邦議会は遅くとも2022年12月31日までにすべての原発を安全に廃止することを決議したのだった。
「日本は島国だからできない」という発想を変える
日本では、「エネルギー資源が乏しいから、化石燃料はすべて輸入しなければいけない、だから原子力を推進する必要がある」という声をよく耳にする。それに対し、ミランダさんはこう指摘する。
「ドイツも既存のエネルギーは石炭以外何もありませんでした。しかし、実際には自然エネルギーはたくさんあるのです。日本にはドイツ以上に存在するではありませんか。それに大事なのは、これからの世代のことです。高レベル放射性廃棄物は100万年もの間安全に保管しなければなりません。処分方法や保管場所は、克服しなければならない大きな課題です。これは子孫に対するとても大きな倫理的な問題なのです」
ドイツの脱原発は、フランスなどから電気を輸入して調整できるから可能なのだという見方もある。しかしミランダさんによれば、それが行われたのは福島の事故直後の1年間だけの話だという。実際にはヨーロッパの中でもっとも電気を作っているのがドイツで、2011年を除き、2003年以降は他の国に多くの電力を輸出している。
「視点を変えてみましょう。日本は4つか5つの国からなっているように見えます。北海道、本州、四国、九州、それに沖縄。それらが送電線でつながったと考えたらどうでしょう? 北海道と沖縄の天気はまったく違う。国がつながっているかどうかは関係なく、大切なのは違う天気の地域がつながり、電気の交流をすることなのです。日本は島国だからできない、という発想はおかしい。もちろん壁はあるでしょうが、日本の技術はきっとそれを乗り越えられると思います」
チェルノブイリから福島へ「もう原発はいらない」
そんなドイツも、かつては日本と同じ敗戦国として、原子力の「平和利用」を推し進めてきた。市民による大きな反対運動もあったが、次々と原子炉をつくる計画が持ち上がった。日本と同じような利権構造があり、既存政党もメディアも、原子力を推進してきたのだ。
そうした中、自分たちが議会の中に入って、そこから政治を変えようという動きも出てきた。1986年には旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所が爆発。放射性物質はヨーロッパ各地に及び、ドイツも汚染された。ドイツ人はそのとき初めて、セシウム137の存在や、ベクレル、マイクロシーベルトという数値の意味を知ることになる。1998年には環境保護を掲げる「緑の党」が初めて政権に入り、2000年には脱原発と再生可能エネルギーに関する法律が電力会社と合意のうえで作られた。
チェルノブイリを経験したドイツ人にとって、福島の事故は既視感があった。
「今や国民の80~90%は原子力に反対。それだけじゃなくて大嫌いなのです。だからその会社からの電気は買わなくなっています。電力会社は、脱原発によって損害を被ったとして国を訴えました。賠償金を税金で払うのはいいとは思っていませんが、大半のドイツ人は、それよりも脱原発がしたいのです」
市民が主導する自然エネルギーの地域づくり
「ドイツでは『エネルギーヴェンデ』という言葉を使っています。これは『エネルギー転換』という意味で、世界中で使って欲しいと思っている言葉です。その転換は、日本の霞ヶ関にあたるベルリンだけでやっているわけではありません。初めは下から、市民から来たものでした」
現在、ドイツではあちこちで自然エネルギー100%の地域づくりが行われている。シェーナウという町で再生可能エネルギーを成功させた先駆者が、自然エネルギーのママ、パパとして知られるスラデックさん夫妻だ。チェルノブイリの事故のあと、自然エネルギーの法律などない中、自分たちで自然エネルギーを作り出しながら、その電気を地域で共同利用できる運動をはじめ、法律化を政府に訴えた。こうして少しずつ制度が変わり、市民の権利が開かれていった。
2000年に導入された電力の「固定価格買取制度」(FIT)は、こうした動きを大きく後押しした。ドイツの総電力に占める自然エネルギーの割合は、FIT導入時には6%に過ぎなかったが、2018年2月時点には33%、2019年度は46%にまで増えた。
「FITを導入してから、地域レベルでいろいろなエネルギー組合が作られました。これは非常に大切なことです。自然エネルギーの発電施設を持っているのは普通の市民とエネルギー組合だからです。私の友人もみんな風力のひとつくらいには投資しています。そこから見えてくるのは、エネルギーヴェンデとはエネルギーデモクラシー(民主主義)だということです」
「エネルギーヴェンデ」とは新しい社会を作ること
それでも、日本ではベースロード電源として原子力が必要だ、という声が聞こえてきそうだ。ドイツでもかつては同じだったという。
「でも、今は違います。これだけ自然エネルギーの割合が増えてくると、いろいろなところから来ている自然エネルギーを合わせれば、少なくとも20%は安定したエネルギーとして機能するんです。ドイツで議論しているのは、自然エネルギーをベースにして、天然ガスなどの他のエネルギーをできるだけ抑えながら、どのようにしてそれに組み込んで使えるか、ということです。原子力はすぐ点けたり消したりはできませんが、ガスはすぐに点けたり消したりできます」
自然エネルギーの普及が加速することで、コストはますます下がっている。経済的に見ても、もはや新しい原発をつくる意味がないのだ。「世界規模でのエネルギーヴェンデの可能性も、すぐに見えてくると思います」とミランダさんは強調する。
そんなミランダさんにも、反省があるという。
「エネルギーヴェンデについて話すとき、ちょっと間違っていたなと思うこともあります。いつも、どうやって自然エネルギーを増やすかといった話ばかりしていたからです。でも、それよりももっと面白いことがあるのです。それは、エネルギーヴェンデが新しい社会やライフスタイルづくりに直接つながっていることです。若い人たちが自分の将来に希望が持てるような未来イメージを提供していかないと、エネルギー転換の将来も難しい。だから脱原発の将来ではなくて、エネルギー転換の将来、エネルギー効率の高い技術の将来、新しい運輸制度や新しい省エネ建築などの将来でなければならないのです」
日本に特別な思いを寄せるミランダさん。なかなか政治が変わらない状況に、こんなメッセージも寄せた。
「皆さんは、政治を変えるのが簡単ではないことは分かっていらっしゃると思います。長く続いた制度を変えるのは難しい。だからもっともっと頑張るしかないのです。自然エネルギーを買ってください、自然エネルギーに投資してください、投票しに行きましょう、そのような呼びかけを身近な人々から直接やってみてください。そして、自分が何か言いたいときは、まず言うべきです。簡単ではないと思いますが、民主主義とはそういうものです」
※本記事は、2018年2月に東京で行われた「脱原発のドイツに学ぶ ミランダ・シュラーズさん来日講演」の内容と、それらの記録をまとめた『脱原子力 明るい未来のエネルギー――脱原発倫理委員会メンバー ミランダ・シュラーズさんと考える「日本の進むべき道筋」』(折原利男編著、新評論、2020年3月)を基に構成しました。