虐待に関する相談件数が10倍以上に
――近年、子どもへの虐待やネグレクトによる痛ましい事件が報じられることが多くなったように思います。実際の状況はどうなのでしょうか。
宮本 この10年間で、児童相談所への児童虐待に関する相談件数は10倍以上の13万件(※1)に増えました。これは、「児童虐待の防止等に関する法律」が2000年に制定され、児童虐待を発見した人は、児童相談所に通告する義務があることが広く周知されたためでもありますが、虐待そのものも増えていることは間違いないと思います。
虐待を受けるなどした子どもたちは、児童養護施設や里親家庭などで公的な養護が必要となります。そうした「社会的養護」のもとで育つ子どもたちは、今日本に約4万5千人(※3)。ただその数は、相談件数の増加にもかかわらず横ばいとなっています。
――高橋さんは児童養護施設などを退所した子どもたちのアフターケアに取り組んでいらっしゃいますが、現場の実感はいかがでしょうか。
高橋 わたしたちの肌感覚からすると、接する子どものほとんどが、虐待……虐待という言葉が強すぎるとしたら、「不適切な養育環境」に置かれていたと言えると思います。
社会的養護のもとで育つ子どもの数が横ばいというのは、児童養護施設などのキャパシティそのものが、ここ20年くらいほとんど広がっていないからです。ケアが必要な子どもがすべて保護されているわけではなく、さまざまな事情で児童養護施設や里親家庭にたどり着けない子どもがいるということです。
宮本 何らかの理由で家庭にいられなくなったり、働かざるをえなくなったりした若者たちが暮らす場所に「自立援助ホーム」というものがあるのですが、入所者の半分は、社会的養護のもとで育った子どもではありません。このことからも、4万5千人という数字が実態の一部にすぎないということが分かります。話を聞くと、崩壊寸前の家庭で育ち、家出するか追い出されるかしながら自立援助ホームに行き着いたという。自立援助ホームにもたどり着けない子どもがいることを考えると、すそのはかなり広いだろうと推測されます。
※1:「児童相談所での児童虐待相談対応件数<速報値>」(平成29年度、厚生労働省)
虐待の背景にある貧困と自己責任社会
――虐待がここまで増えてしまった背景には、何があるのでしょうか。
宮本 要因の1つとして、1990年代以降、子育て家庭の経済状況が非常に悪化していることが挙げられます。2015年の政府の試算では、18歳未満の7人に1人が貧困状態にある(※4)という結果が出ています。虐待が単独で起きることはまれで、ほとんどの場合、その後ろに経済的困窮がある。貧困が、虐待や家庭崩壊の温床を作っているのです。
大もとにあるのが、労働市場の変化です。グローバル化が急速に進み、熾烈な競争のもとでの経済活動を強いられるようになった企業では、非正規など不安定な雇用が拡大しました。中でも高学歴社会の中で学歴にハンディのある人は、昔とは比べものにならないほど不利な状況に立たされています。
また、日本経済の長引く停滞で、賃金も下がっています。仕事は不安定で、所得的にも余裕がなく、健康を害す、リストラに遭うなど、何か起こればたちまち生活が立ち行かなくなってしまう。そうしたリスクを抱えた家庭で、親のストレスが、弱い立場の子どもに向けられているということも考えられます。
――高橋さんは、日ごろ若者の相談を受ける中で、社会的な影響を感じることはありますか?
高橋 相談に来る子を見ると、自分独りで頑張るだけ頑張って、我慢するだけ我慢して、どうにもならなくなってやっと連絡してくるということが多いんです。
例えば、望まない妊娠をして、でも相談することを遠慮しているうちに中絶できる時期を逸して、結局望まない出産をしたという子もいます。連絡が来たのは、もうおなかが大きくなっているとき。「今から死ぬ。最後だから電話しようと思って」と。そういうエピソードが幾つもあって、初めはそのたびに、どうしてもっと早く相談してくれなかったのかと思っていました。
でも考えてみれば、日本は、大人も「助けて」と言いづらい社会ですよね。個々の努力がすごく求められて、頑張れないのは自分が怠けているからだと責められる。生活の責任もすべて個人や家庭にのしかかる。介護や障害の問題を見ていても、そう思います。
虐待を受けた子どもの家庭では、親自身が孤立していて、隣近所はもちろん、親族とも縁が切れ、だれにも相談していないというケースがほとんど。親自身にサポートが必要な状態であるにもかかわらず、「自分が生んだ子なんだから自分でどうにかしなきゃ」と背負わせている社会があるのではないでしょうか。
社会的養護を巣立つ若者のその後は……
――アフターケア相談所「ゆずりは」は、施設や里親家庭を巣立った若者に向けた支援活動を行っていますね。なぜ「アフターケア」に特化しているのでしょうか。
高橋 わたしは、以前、自立援助ホームで働いていたんです。心身に傷を負った子どもたちと一緒に暮らしながら、「生きていてよかった」と思ってもらえるような関わり方をしていたつもりでした。ところが、ホームを巣立った彼らのその後を見ると、とても順風満帆に社会生活を営めているとはいい難いのです。
パートやアルバイトを2つも3つも掛け持ちしているとか、ブラック企業のようなところで働いているとか、女の子の場合、望まない形で性産業に就くとか。病院に行くお金がなく、体を壊して家賃が払えず、ホームレス状態になった子や借金を抱えてしまったりする子もいました。
そういう状況を目の当たりにして、「安心をはぐくんでいくんだ」という志のもとにわたしたちがやってきた支援だとかケアだとかって何だったのだろうと、すべてが覆される思いでした。
――なぜ、巣立った子たちはスムーズな生活を営むことが難しいのでしょうか。
高橋 さまざまなハンディを抱えているからです。分かりやすいところでいえば、保証人の問題があります。住居を借りるとき、就職するとき、アルバイトをするとき、入院や手術のとき……今はあらゆるところで保証人が求められる。身内がいるにもかかわらず保証人になってもらえない事情を自分ではうまく説明できず、就職をあきらめたという子もいます。
実際に親や家族に頼るかどうかは別にしても、何かあったときに確実に支えてくれる存在が心の中にいるということ自体がセーフティネットなんですね。18歳やそこらでそれがなく、全部自分でなんとかしなくちゃいけないということがどれほどしんどいか、想像に難くないと思います。
――そうした子どもたちが助けを求められる場が必要だということですね。
高橋 はい。「ゆずりは」が設立された2011年は、ちょうど派遣切りとか年越し派遣村などが話題になっていたころでした。当時、支援に携わっているかたから、若年ホームレスの中に社会的養護の出身者がとても多いと聞いたことも、開設の背景にありましたね。
虐待のトラウマや深く傷ついた心のケアは、大人になったらもう必要ないということはありません。施設や里親家庭に保護されなかった子も含めて、だれでも年齢制限なしに、困難な状況に陥りそうなとき、陥ってしまったとき、安心して助けを求めることができ、生活保護の手続きや借金の債務整理など具体的な問題解決まで一緒にやっていく伴走型支援ができる場所を作りたいと考えたのです。
社会保障制度による救済から漏れてしまうワーキングプア
――社会的養護のもとを巣立った若者に対する公的な支援はないのでしょうか?
宮本 残念ながら極めて手薄です。もともと日本の社会保障制度は、企業によって保障された「安定」をベースに、多くの人が正社員として企業に所属していることを前提に設計されたもの。90年代以降に急速に進んだ雇用の非正規化が、働いても生活保護基準を下回るワーキングプアを生み出しましたが、そこに対する社会保障の仕組みはまだまだ追いついていません。
近年、若者支援に関してもさまざまな取り組みが始まってはいますが、例えば、ニートの自立支援を目的とする厚労省管轄の「地域若者サポートステーション」も、来所して支援を受けている若者は、ほとんどの場合、親が背後についている。ヨーロッパの場合、同じような支援機関に通うのに交通費や昼食代の給付がありますが、日本では何も保障されていないので、親という後ろ盾がなく経済的に困窮した若者は、通うことも困難なのです。
――社会保障制度の網から漏れてしまう人たちが増えているということですか?
宮本 はい。2015年にスタートした「生活困窮者自立支援制度」は、そうした従来の社会保障制度の枠外に困窮状態に置かれ社会的に孤立してしまっている人たちがいるという問題意識から生まれました。ただ、理念は非常に素晴らしいのですが、制度の運用に必要な人や施設などの資源が地域の中にまだ十分備わっていないため、社会的養護のもとから巣立った若者を救済するまでの実力を持っているとはいえません。
間違いなくいえるのは、労働市場の二極化が進む中で、幼少のころからさまざまな条件に恵まれず、健康、学力、社会性など多くの面でダメージを受けて育った若者の圧倒的多数が、不安定な雇用を余儀なくされていること。貧困の連鎖を断つためにも、彼らを支援する施策を早急に整備する必要があります。
“伴走者”の持続的な活動を支える「若者おうえん基金」
――「首都圏若者サポートネットワーク」は、そうした若者を支援するために設立されたのですね。
宮本 はい。18歳あるいは20歳という年齢の区切りで、子どもの貧困対策の支援の対象から外され、その他の公的な援助も届きにくい、いわゆる大人になる入り口に立っている若者たちにこそ応援の手を差し伸べるべきと、わたしたちは考えました。
そこで、彼らに寄り添って活動する伴走者たちを通じて彼らを応援するために、首都圏の民間団体が呼びかけ、ネットワークを設立したのです。まずはクラウドファンディングや寄付を呼びかけ、「若者おうえん基金」を立ち上げました。
――子どもや若者への直接的な支援ではなく、伴走者を支援の対象にしたのはなぜですか?
宮本 限られた資金をどう使うのが有効かを議論するなかで、実際に伴走をされている方たちから、養護施設を巣立った若者たちにとって、見守ってくれる人がいないとか、人との関係が希薄であるということが、お金がないことと並ぶ重要なハンディであると聞きました。
きずなのない中で生きていくことがどんなに過酷か。逆に、親代わりというか、困ったときに顔を出せば、自分を知っている大人がいる――そういう環境を整えることで、苦難に耐える力が本人の中からわいてくるのではないかと考えたのです。
わたしたちは、これをある意味、社会的実験としてもとらえています。実際に支援することで立ち上がってくれる子どもたちを増やすと同時に、伴走者とともに経過を見守りながら、どういう支援が有効なのか、支援の限界がどこにあるのかなどを見極め、最終的にはその中から見えてきたことを広くシェアし、政策にも反映していきたいと考えています。
――現場で若者たちに寄り添う立場の高橋さんは、「伴走者への支援」というアプローチについてどうとらえていますか?
高橋 伴走者に対する助成というのは、ほかにはなかなかないんです。手弁当で活動している人たちが多いので、とてもありがたいです。
アフターケアはボランティア精神だけで継続できる活動ではありません。もちろん気持ちがいちばん大事ですが、きちんと休みが取れる、生計が成り立つといった条件がなければ、持続できません。伴走者への経済的なサポートは活動を継続していくうえでとても重要で、ひいては、それが相談者の問題解決や笑顔にもつながっています。
生協こそ、若者を排除しない地域作りの核に
――首都圏若者サポートネットワークは、パルシステムや生活クラブなどの生活協同組合が活動に関わっていることも特徴です。生協や消費者には、何を期待しますか?
宮本 最初のステップとしては、この日本社会の中に、孤立した、そして経済的にも困窮した人が多くいる、という現実を知っていただきたいです。そして、ささやかでもいいから、何か力を貸していただきたい。
もともと生協には、「共生社会を作っていく」という理念があります。今、地域社会の「きずな」を維持する力が失われつつありますが、生協こそ、きずな作りの核になってほしいですね。
高橋 生協は、大きな横のつながりがあることが魅力ですね。いつもすてきだなと思うのは、単に「大変な人たちがいる」と他人ごととして済ませるのではなく、もっと話を聞きたい、もっと知りたいという主体的な行動が伴っていること。自分たちにできることを探そうという意思が伝わってくる。支援というより、共に社会を作っていくという感覚ですね。
――パルシステムでは、関連団体の「一般社団法人くらしサポート・ウィズ」(※5)を通じて首都圏若者サポートネットワークの事務局に参加するとともに、パルシステムグループでの就労支援の場の提供も行い始めました。
高橋 とても貴重です。トラウマのために人と接するのは怖いけれど、できるなら働きたいと思っている子どもたちは多いんです。理解やサポートがあると分かっている場所なら、「まずそこでやってきておいで」と、わたしたちも安心して送り出せますから。
※5:パルシステム連合会、生活クラブ生協・東京などを母体に2006年に設立された「生活サポート生活協同組合・東京」が前身。2016年に一般社団法人に組織変更し、「くらしの相談ダイヤル」事業を中心に、組合員や地域の困りごとを把握し、困難を抱える人を支え合いながら問題解決に導くため、生協で培ってきたスキルやネットワークを社会に還元することを目指す。
「かわいそう」の先に続くそれぞれの言葉を探したい
――最後に、読者へのメッセージをお願いします。
宮本 社会的養護のもとで育った子どもたちに限らず、日本は今、地域や人とのつながりが希薄な「無縁社会」の様相が色濃くなっています。ここで歯止めをかけないと、だれもが、自分が困っているとき、周りに助けてくれる人が一人もいないという孤立状態に追い込まれかねません。困難を抱えた子どもや若者を社会的に排除しない仕組みを作ることは、わたしたち自身に関わる課題でもあるのです。
高橋 まずは、大人も、何でも自己責任じゃなくて、「助けて」とか、「できない」とか、「まあまあこれぐらいでいい」とか、言っていいんじゃないでしょうか。自分に優しくなれないと、人にも優しくなれませんからね。
わたし自身は子どもを持ったことで、「ゆずりは」に相談に来る子どもたちのつらさを、改めて自分ごとに引き寄せて考えるようになりました。もし自分の家庭が安心できる場じゃなかったら、いつ殴られるか分からないというような環境だったらどんなに苦しいだろうと。
虐待のニュースを見ると、つい「かわいそう」という言葉にしがちですが、「かわいそう」というのはどこか他人ごとのように聞こえることがあります。最初は「かわいそう」でもいいのだけれど、例えば「こんなことを一緒にやりたい」とか「こんな風に声をかけたい」みたいな、「かわいそう」の先に続くそれぞれの言葉や関わり方を、一緒に見付けていきませんか。