連日のように届くコロナ災害のSOS
「所持金があと数百円」「家賃が払えずアパートを追い出された」――42の支援団体が参加する「新型コロナ災害緊急アクション」(以下、緊急アクション)の相談フォームには、活動を始めた昨年3月以来、追い詰められた生活を送る人たちからのメールが連日のように届く。
緊急アクションを運営する「反貧困ネットワーク」の事務局長を務め、パルシステム生協職員でもある瀬戸大作さんは、こうしたSOSが届くとすぐに支援者たちと連絡を取り合い、相談者の元へ駆けつける。
「携帯電話の料金が払えず音声通話が止められているので、無料のWi-Fiスポットからメールしてくる人がほとんど。待ち合わせに失敗したら、もう会えないかもしれない」と瀬戸さん。相談者の中には、連絡をくれた時点で住まいや所持金がなく、精神状態もぎりぎりの人が多い。SOSに即座に応えなければ、命の危険にかかわってくる。
瀬戸さんは自分の車の色やナンバーを伝え、相談者の服装などをメールで確認して、待ち合わせ場所へと急ぐ。都内だけでなく、千葉や神奈川まで、一日に複数の相談者の元を回ることも少なくない。
「昨年4月から数えると、すでに500人を超える緊急対応をしています。その多くが30代~40代前半と若い人が多い。10代、20代からの連絡もあります。連絡をくれたのが週末であれば、公的機関は閉まっているので、安全な場所で過ごせるように緊急宿泊費や給付金を渡す。そして週明けに福祉事務所へ同行して生活保護を申請します。そこからアパートに引っ越せるまで一緒に支えていきます」
こうして話を聞いている最中にも、瀬戸さんのパソコンには相談者からのSOSメールが届く。神奈川にいる男性で、所持金が尽き、住まいもなく、ショッピングモール周辺で過ごしているという。瀬戸さんは、すぐに返信して、その日の夜に会いに行くことを約束した。
非正規雇用は「自己責任」ではない
昨年4月、首都圏でコロナによる最初の緊急事態宣言が出されたときには、ネットカフェが休業対象となり、それまでネットカフェで寝泊まりをしてきた人たちが居場所を失った。3年前に東京都はアンケート調査を行っているが、安定した住まいを失ってネットカフェで寝泊まりする人たちが、都内だけで1日約4,000人もいることが分かっている。派遣やアルバイトなど非正規・不安定就労の人が多く、平均月収は11万4千円[1]だという。
調査結果からは、綱渡りのような生活の中でアパート入居の初期費用がためられず、辛うじてネットカフェに寝泊まりしてきた現実が見えてくる。コロナによる影響は、ネットカフェで生活してきた人たちを含め、不安定な仕事や住まいの人たちを直撃している。
「雇い止めに遭い、仕事先の寮から追い出された人からのSOSもあります。日本では、今や働く人の約4割が非正規雇用。派遣や有期契約雇用は、国の政策で増えてきたものです。その中で、彼ら、彼女らは何とか生計を立てようと必死で働いてきた。決して『自己責任』ではありません」と瀬戸さん。
少し前に緊急アクションの支援につながったばかりという20代前半の男性は、ホストとして働いていたが、コロナの影響で来店客が減少。特に2回目の緊急事態宣言の影響が大きく、2021年2月に店が閉店してしまった。
「実家も自営業で生活が苦しく、もともとは親の借金を返すために始めたホストでした。店がつぶれたので寮からも出なくちゃいけなくて、精神的にも追い詰められました。緊急アクションはネットで見付けたのですが、もしあのとき返信が来なかったら……、という感じです」
親の借金は完済できたが、常連客が付けを払わずに逃げてしまったために差し引かれ、手元にはお金が残らなかった。実家とは連絡がつかないといい、「親も大変なのでしかたない」とつぶやく。現在は、瀬戸さんとともに生活保護申請を進めており、アパートが決まったら早く仕事を探したいと話す。
「コロナ禍の前から住まいがなかった」
瀬戸さんは、取材に来たメディアから「この人たちはコロナによって困窮したんですか?」とよく聞かれるという。
「それを聞くとあぜんとするよ。そうじゃないでしょう、と。コロナが広がる前から、大変な状況で暮らしてきた人たちがいたんです。その底が抜けてしまったということ」
つまりコロナ禍が追い打ちをかけたことは事実だが、問題の本質ではないのだ。
もう一人、昨年11月に緊急アクションにSOSの連絡をしたという20代の女性にも話を聞かせてもらった。外で出会っても生活に困窮しているとは思わないくらい、街を歩く若い女性たちと変わらない。しかし、彼女はコロナ禍の前から住まいがなく、日雇いで働いては、ビジネスホテルやネットカフェを泊まり歩く生活を続けていたと話す。
「3年前までは制作会社に勤めていましたが、家族との関係がすごく悪かったことと、仕事も月2回休みがあればいいような忙しさで、気づいたら体調を壊していて、うつ病になり退職しました。そのあとは日雇いバイトで週6日ほど働きながら生活していましたが、また突然体調を崩して働けなくなったんです」
とうとう泊まるお金さえ尽きたのが、昨年11月のこと。電子マネーの数百円があるだけで、現金はほぼ残っていなかった。怖くて野宿もできず、街を3日間歩き続けたという。
「もう寒い季節なのに薄着で、食事もちゃんと取れていなかった。正直、自殺も考えました」
東京都の相談機関にもメールをしたが、まず電話で面談日の確認をしなければだめだと言われてあきらめたという。もう通話ができないからだ。
「それで検索して見付けた緊急アクションにメールをしたのですが、民間団体が本当に助けてくれるなんて思っていなくて、もう返信が来なくてもいいや、くらいに思っていました。そうしたら終わりにできるじゃん……って」
しかし、相談フォームにメールをしてから1時間後には、待ち合わせ場所に瀬戸さんが現れていた。
「びっくりしました。でも、来てもらったからには、ちゃんと自分の生活を立て直さなくっちゃって思います。今は生活保護も決まり、アパートに移って仕事を探しているところ。体調やブランクもあるので、少しずつ社会に出る時間を増やしていけたらと思っています」
セーフティネットの機能を失った「家族」
最近では「死のうと思ったが死ねなかった」というメールも増えており、SOSの内容は日を追うごとに深刻になっていると瀬戸さんは言う。昨年末からは家賃が払えなくなりアパートを追い出されるという相談が急増。20代からの相談も増えており、一人暮らしの大学生から「バイト先の飲食店がつぶれてしまい家賃が払えなくなった」という相談も届く。
2008年のリーマンショック時などと比べて、今回は女性の相談者の多さが目立つといわれているが、それも非正規雇用で働く人、特にサービス業を担ってきた多くが女性だということともつながっている。
「相談者の中には、家族との関係がよくないとか、親の生活も大変だという人が多いのも特徴。もう『家族』が、社会のセーフティネットとして機能を失っているんです」と瀬戸さん。
しかし、社会に広がる偏見や自己責任論の影響か、生活に困窮していても生活保護はどうしても受けたくないという相談者もいる。緊急支援の給付金だけを受け取って「自分で仕事を探してみます」と去っていくが、結局は仕事が見付からず、再度のSOSで生活保護申請につながることもある。
また、生活保護を受けたいと希望しても、支援者が同行していないと福祉事務所で「水際作戦」に遭い、申請を拒まれたというケースもあちこちで起きている。親や親族に連絡が行く「扶養照会」や劣悪な環境の施設入所を半ば強制されるなど、ほぼ唯一のセーフティネットである生活保護でさえ、ハードルが高いのが現状だ。
「福祉事務所によるひどい対応には、きちんと抗議していかないといけない。しかし、その背景には、窓口の職員の環境や、申請者の相談や問題解決にあたるケースワーカーが一人100件以上も抱えていたりする状況もある。福祉事務所の体制や職員待遇も含めて構造的に変えないといけない問題だと思います」
「使い捨て」の労働市場に戻すのか
コロナ禍から1年。緊急対応を続けてきた中で、今、瀬戸さんたちは、新たな課題に直面しているという。
「生活保護につなげてアパート入居できたら終わり、じゃない」
今はコロナの影響で仕事も見付かりにくい。アパートに入っても人とのかかわりがないために孤立を深めてしまい、突然連絡が取れなくなる相談者が出てきている。
「僕らが思っているより、若い人たちの抱えている困難は深刻です。精神的なケアが必要な相談者も多くて、半数くらいは継続的なフォローが要る。それに、もう一度仕事に就くにしても、ブラック企業で使い捨てのように働かされてきた人たちを、そこにまた戻すのかという問題もあります」
そんな中で、パルシステム職員でもある瀬戸さんが希望をつなぐのが「協同」のつながりだ。「日本労働者協同組合(ワーカーズコープ)」に協力を仰ぎ、緊急アクションにつながった相談者を対象にした「しごと探し・しごとづくり相談交流会」をこれまでに2回開催している。
ワーカーズコープは、昨年12月に労働者協同組合法が成立する前から、失業者の人たちと一緒に仕事作りをすることを目指して活動してきた組織だ。雇用されて働くのではなく、働く人たちが出資して、対等な立場で事業を運営し、人と地域に役立つ仕事作りをしていく「協同労働」を実践する。事業内容は、子育て、高齢者福祉、障害者福祉などにかかわるものが多い。
前述の元ホストの男性も、この相談交流会に参加。子供が好きで保育の仕事にも興味があるといい、「これまでは目の前の生活に必死だった。今回のことを、将来を見詰め直すきっかけにしたい」と話した。
「協同の力」で新しい社会を作る
瀬戸さんは、「新自由主義の中で使い捨てのようにされ、コロナで仕事を切られたら住まいまで追い出される。そういう働き方じゃなくて、みんなで支え合って働ける場作りが必要。すぐには働けない人もいるから、それぞれの事情に合わせた働く場や居場所を協同の仲間たちと作っていきたい」と話す。今後も相談交流会を継続していくつもりだ。
これまではボランティアが集まり、任意団体として市民からの寄附で運営してきた反貧困ネットワークだが、増加するSOSや長期化する支援を見据えて、3月31日に法人化。「一般社団法人反貧困ネットワーク」として、緊急宿泊用シェルターを増やし、専従スタッフが就労ケアをしながら孤立の防止を目指す計画だ。公的支援からこぼれ落ちてしまう外国人支援にも力を入れていきたいという。
対応が難しいケースに直面することも増えているが、瀬戸さんは相談者に「ひとりじゃない」「生きていてほしい」と言い続けてきた。
「ネットカフェなどで暮らしてきた人たちだけでなく、これまで普通にアパートなどで暮らしていた人たちも仕事を失って住まいを追われています。コロナ禍で社会の底は抜けてしまった。パルシステム組合員の中にも、この活動を応援してくれる人がたくさんいます。中には地域で子供食堂を開いている人もいる。そうやって一人ひとりが『協同の力』を生かして、支え合いの場を広げていけたらいい。コロナ禍の前に戻るのではなく、これまでとは違う社会を作っていくことが求められています」